生きる意味と使命。生きていることの意味|メタ心理カウンセリング

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生きる意味と使命。生きていることの意味

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生きる意味

生きる意味

生きる意味
人生に行き詰った時、絶望した時、誰かから拒絶された時、私たちは「生きる意味」を問うことがあります。

なぜ、私たちはこんなに辛く苦しい世の中で生きていなくてはならないのだろうか?
それについての明確な答えは誰も教えてくれません。ですから、これから一緒に「生きる意味」を紐解いていきましょう。
そもそも、このページに辿り着いた皆さんは、とても知的好奇心が強く勉強熱心な方です。それと同時に人生に虚しさを抱えているでしょう。もしそうでなければ「生きる意味」について調べようとは思いません。人生に行き詰っているか、希望を失っているか、絶望しているか、終わりにしようと思っているか、もしくはそのすべてかだと思います。

それでも生きる意味はあると思います。

これから「生きる意味」についてニーチェ的な解釈やトルストイの解釈、ビクトール・フランクルの解釈を知って行きましょう。






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ニーチェ的な解釈

ニーチェ的な解釈

ニヒリズム(虚無主義)、フリードリヒ・ニーチェ的な解釈をするならば「人生に意味はない」「生きることに意味はない」ということになるでしょう。私も長い間、ニヒリズム派でした。
だって、ミジンコの生きている意味を考えても、蚊やハエの生きている意味を考えても、個としてはそんなに意味があるように思えませんから(全体としては意味があるかも知れませんが。でも、地球上の99%の種が滅んでいることを考えると、それも意味がないのかも)。
この答えはシンプルですが、どこか虚しいですし希望もありません。


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トルストイの解釈

トルストイの解釈

次に私が出会ったのがロシアの文豪であり思想家のレフ・トルストイです。
彼は少し違った解釈をしています。この答えも気に入りました。
生きる意味・・・
「人が生きる意味は、人を幸せにすることにある」
「他人の幸福の中に、自分の幸福もあるのだ」としました。

この言葉には合点の行くところもあって、他の偉人が言っていた「他人に幸せの香水を振りかけなさい。何滴かはあなたにもかかるでしょう」という言葉と符合するからです。
それに生き方の指針としては明確で、愛と優しさと思いやりを持って生きることで周りも幸せになり、結果的には自分も幸せになるという考えです。
とても円環的で幸せの連鎖を感じさせ希望が持てる言葉ですね。さすが、トルストイは素晴らしいです。


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ヴィクトール・フランクルの解釈

ヴィクトール・フランクルの解釈

次に私が出会ったのは「夜と霧」で有名なヴィクトール・フランクルです。
彼の答えを聴いたときに天啓を受けたかのように茫然とし、目が覚めたような感覚を覚えました。
彼の答えはこうです。
「私たちが“生きる意味はあるのか?”問うのは初めから間違っている。私たちこそが人生から問われる存在なのだ」

オーストリアの精神医学者ヴィクトール・フランクルは、ナチス支配下のドイツでユダヤ人や差別を受ける人々と共に強制収容所に送られました。そして何百万という人々が人権を無視され強制的に過酷な労働を強いられ、病に倒れ、餓死し、ガス室送りとなり大量に虐殺されていきました。この筆舌を尽くしがたい惨状を目の当たりにし、何度も絶望するような想いをしながらも何とか囚人として生き残り、その経験を「夜と霧」という本に記することができました。
収容所では人間としての尊厳は奪い取られ、自由であれば考えられるはずの「生きる意味」すら考えられず、希望も絶たれただただ運命に弄ばれるだけの存在となってしまったのです。

そんな中、絶望したとある囚人が言いました。
「生きていることに、もう何の期待も持てない」。
その囚人には彼の帰りを待ちわびる彼女がいました。そして彼女の存在が生きることのかけがえのなさや責任に気づかせてくれて、生きる勇気を取り戻したのです。

私たちは人生に答えを期待するのではなく、人生から問われているのです。
「キミの生きる意味は何だね?」
という問いを貰っているのです。

この考え方には思わず「なるほど!」と膝を打ちました。
いつも「どこかに正しい答えがあるはずだ」という前提に立って思考していたので、よもや自分が問われているとは気づきませんでした。どうりでどこにも明確な答えがないはずです。
フランクルさんの考えには感心させられました。この答えが現在の私の中での中心的な答えになっています。


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実は、明確な答えはない

人は幸せな時には「なんで生きているんだろう?」「なぜ生きなくてはいけないんだろう?」「生きることに意味はあるのか?」と考えることはありません。
考えるのは苦しんでいる時や絶望している時でしょう。
これはきっと普遍的な現象で、たぶん4000年前の古代メソポタミア人も同じように、苦しい時に「なんで生きているんだろう?」「生きることになんの意味があるんだろう?」と考えたと思います。
しかし、何千年たったところで明確な答えは出ていません。この人工知能(AI)を生み出すほど賢い人類が何千年間も出せてない答えが、これから先、万人に共通する「生きる意味」の答えを探し出せるでしょうか?それは、無理なのです。
だって、万人に共通する、誰もが納得する答えなんてどこにもないのですから。
それぞれの人が、それぞれの人生において、それぞれの「生きる意味」の答えを出していくしかないのです。
それが答えです。


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ある男の物語

ある男性の話をします(実話です)。
その男性は幼少期から祖母に「自分より弱いものを助けなくてはならない」「小さい命でも、命は大切」と幾度となく聴かされながら育ちました。
彼はすくすくと育ち、大学に入り医者になりました。
ある時、アフガニスタンの村の診療所に行くことになりました。その診療所では目を疑うような光景が広がっていました。ケガをした人、飢えた人、感染症で息も絶え絶えな人がたくさん詰めかけてきたのです。
日本では当たり前にある、普段は気にもしないような新鮮な水が無いせいで、泥水を飲むしかなく、その泥水から感染症にかかり目の前でなくなっていく赤ちゃんをたくさん見てきました。診察を待っている間になくなる赤ちゃんもたくさんいました。

医者の仕事は病気を治すこと、命を救うことのはずなのに、水が無いせいで病気になり、水が無いせいで農作物が育たず、飢えてしまい、水が無いせいで治療もできずに命を落とす人々を見て、水を確保することが逼迫した課題だと思い、井戸を掘ることにしました。井戸から水が出た村人は喜びました。そしてなんと1600個の井戸を掘りました。

そんな中、大干ばつが起こり、井戸はすべて枯れ果てました。政府も訳の分からない異国から来た人物を不審に思い、井戸を掘ることを禁止とされました。

水が無いせいで農作物がまったく育たなくなってしまったので、村の男たちは困り果て、仕方なく兵士として戦争に行き、お金を稼ごうと1人1人、村を離れていきました。

そこで男性は、遠くの川から水を引くことを考えました。灌漑用水路です。どんなに医者がいても、どんなに診療所があっても、水が無いと解決できないことがある。
「100の診療所より、1本の水路だ」

しかし、医者であるその男性には土木の知識も建築の知識もありませんでした。さらに、重機もなくセメントもありませんでした。途方に暮れましたが、やるしかありません。25km先の川から、ほぼ人力で護岸工事をしながら村まで水を引くための戦いが始まりました。
土木や護岸工事の勉強をし、数学を学びなおしながら着工しました。

セメントはありませんでしたが、幸いなことに石だけは大量にありました。しかも村人たちの多くは石の扱いには慣れていましたので、その石を使い蛇籠を作ることにしました。蛇籠(Gabions)というのは江戸時代から日本でも使われていた方法で、竹や鉄線で作った網の中に石を敷き詰める方法です。これが意外と頑丈でセメントと同じくらいの強度になるのです。

村人たちにも手伝ってもらいながら、7年もの歳月がかかりましたがようやく村まで水を引くことに成功しました。誰もが「無謀だ」「不可能だ」と思っていた25kmの灌漑用水路を苔の一念で作り上げたのです。

村には綺麗な水が引かれ、飲み水で苦労することもなくなり、農作物が育ち、大地は緑に覆われていきました。戦争に行っていた村人たちも帰ってきました。帰ってきた兵士の男は言いました。
「故郷の村に戻って来られて良かった。貧しくても、家族や仲間たちと一緒に居られる方がずっと幸せだ。今は昔みたいに農業もできるようになった。こんなに嬉しいことはない」

この村を救った男性の名前は中村哲さん。

中村哲さんは数年後、壊れた護岸の補修に向かう途中、武装集団に囲まれ凶弾に倒れ帰らぬ人となってしまいました。とても無念です。こんな素晴らしい方を失ってしまいました。
しかし、彼の信念と行動は私たちの魂に教えを残してくれました。

最後に、彼の残した言葉です。


人は必ず死ぬ。
当然だが、生命体として
逃れられぬ掟である。

いかに多くの所有を誇ろうと、
いかに名声を得ようと、それをあの世に持ち去ることはできない。

その時、我々の生きた軌跡が何かの暖かさを残して、
人としての温もりと真実を伝えることの方が大切なのだ。

絶対に必要なものは多くはない。
恐らく、変わらずに輝き続けるのは、
命への愛惜と、自然に対する謙虚さである。

その想いを留める限り、
恐れるものは何もないと考えている。

大事なのは、与えられた場所でいかに力を尽くすか。
深く考えないようにしながら
その時その時の仕事に全力で取り組んでいます。


(医師、中村哲)


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使命(mission)

使命(mission)の話をします。生きるということ。つまり命を何に使うか、ということについてです。あなたに使命、ミッションは決められていません。あなたが、あなた自身に何をするのかを任命していいのです。そのことにあなたの命を使いなさい、というのはあなた自身の役割であり特権なのです。

私は不可知論者ですが、ちょっと神様の話をします(神様は信じてないけどね)。
使命は、しいて言えば、あなたの好きなことで他人に貢献することです。
あなたには、あなたにしかない感性があり、あなたにしかない価値観があります。あなたの個性や好きなこともです。それはあなたが作ったものではなく、気づいたら備わっていたものです。言い換えれば、神様があなたに与えてくれたもの(と、仮定しましょう)なのです。

あなたは自分の個性を十分に発揮し、好きなことで他者に貢献することができれば、そこには生きる意味も生まれてきますし、助けてもらった人、救われた人はあなたに感謝するでしょう。
もしかしたら、神様はそういった善意の循環を喜ばしいと思っているのではないでしょうか?

難しい話ではありません。コーヒーが好きな人はスターバックスを作ればいいし、歌うのが好きな人は、歌うことによって人々に癒しと生きるヒントを与えることができるのです。サンドイッチで他人を幸せにしても良いのではないでしょうか。建築でもいいし、自動車でもいいし、旅行でも良い。キャンプが好きな人、DIYが好きな人、ネイルが好きな人、いろんな方がいらっしゃいます。 その個性は才能です。天から与えられたものなのです。
とにかく自分の好きなことをたくさん書きだしてみましょう。その中から他人に役立つことや貢献できることを探して、実際にそれをやることがミッション、使命なのではないでしょうか?

何に命を使ってもいいんです。だったら自分の好きなことを毎日やっていた方が自分は幸せ。そしてそれが他者に貢献できることだったら世界は平和です。
命を削りながら辛いことや向いていないことはできるだけしない方が良いと思いませんか?

私は難しいことを考えることがとっても好きだし、文章を書くことも好き。でも、コミュ障なのでお客様とお話しすることには向いていません。
弊社のスタッフはお客さんとお話をすることが好きだし、お客様により幸せな生き方を伝授することが好き。みんな得意な分野も苦手な分野も違っています。それでいいんです。


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終わりに

可能性のイメージ

さて、皆さんは生きる意味について少し理解できたでしょうか?
万人に共通する明確な生きる意味の答えなどどこにもありません。答えはあなたの中にあります。あなたは人生から問いかけられているのです。あなたの使命は何ですか?ということを。
あなたは、あなた自身に問いかけるしかありません。

・自分の好きなことは何だろう?
・どんなことをしながら生きていきたいだろう?
・自分の得意なことは何だろう?
・どんな人たちを助けてあげたいだろう?
・みんなはどんなことで困っているのだろう?
・過去、自分がやったことで誰かが喜んでくれたことは?

そんなことをずぅ~っと考え続けていたら、もしかしたらその中に生きる意味を見出すことがあるかも知れません。考えることです。すぐに答えが見つからなくても大丈夫!
自分に問いかけ続けることが大切なのです。



あ、ちなみに弊社の心理カウンセラーは、あなたの生きる意味を一緒に探す旅にもでます。自分一人で考えるのが難しい時には、ぜひご利用ください。


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ブログ

違うテーマで中村哲さんについてブログに書いてみましたので、ご興味のある方はぜひお読みください。
勉強をする意味は弱者を救うため
中村哲の死生観の言葉






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