「私」とは誰か?
みなさんは「私」とは誰か?
ということについて、考えたこともないと思います。
自分が思っている「自分」とは、
大抵の場合は、自分の中にある「自我(ego)」のことを指しています。
自我は自分と他者を区別し、分断するために働いています。
そのせいで、私たちはみんな繋がったひとつであるということを見えなくされています。
また、「自我(ego)」は欲望の源です。
そして、その欲望はすべての苦しみの根源になっているのです。
欲があるから1番になりたがるし、そのために争いが起こり、使いきれないようなお金を貯めようとし、領土を増やそうとし、名誉を欲しがります。
そして、愛されようと躍起になります。
しかし、それは、本当の世界の姿ではありません。
下の「意識と思考」の図を見てみましょう。
私たちが「自分」と呼んでいるのは「B」の部分です。
「es」は欲しがり、「super ego」は理性的であろうとし、欲望を抑え、ちゃんとした人間であろうとします。
そのどちらもが苦しみに繋がるのです。
「C」は、私の持ち物。
自我を拡張すると、それが自分の一部のように感じてしまうことがあります。
例えばいつもブランド物を身に付けていた人が、1日だけ安物の服を着て出かけると、なんだか自分ではないような気がしてしまいます。
地位や名誉をはく奪されると、惨めな気持ちになってしまう人もいるかもしれませんね。
「D」は自分の外側の世界。
自分ではないものに、大した価値はありません。
そこに、あまりこだわりを持つ必要はないでしょう。
「お前のかーちゃん、で・べ・そ!」
という悪口がありましたが、自分のこと以外の人のことを言われて傷ついてしまうのは、外界が、自分と一体化しているからなのです。
子供は傷つくことがあるかも知れませんが、
大人になってそれを言われたからって、傷つく人は少ないでしょう。
さて、そろそろ本題です。
「B」は「自分」と思い込んでいる自分。
自分の幻想です。
本当の自分と呼べるのは「A」だけ。
「B」を観察する「A」だけが、本当の自分と呼べるのです。
「A」は欲望も持たず、理性的なルールにも抑制されず、
自由な存在であり、
そして、「B」「C」「D」を眺める観察者なのです。
ですから、自分と思い込んでいる自分のことを
「この人」と他人事にできるのです。
全ての出来事は他人事なのですから、
そこには苦しみも存在しません。
すべての苦しみから解放されるのです。
自我から解放される方法のひとつに瞑想があります。
逆に言うと、瞑想の目的は「自我からの解放」と言えるのです。
自我から解放されると、
他者との分断もなくなりますので、すべてのものと繋がれます。
PDFファイルを置いておきますので
ダウンロードしてご利用ください。
メタ心理カウンセリング
セラピールーム・ソラ