行けたら、行くね!
先日の哲学瞑想会で、
みんなでお話ししていた時に、
日本とアメリカでは
「行けたら、行くね!」のニュアンスが違っていることが話題になりました。
私が
「アメリカでは行けたら行くねと言った場合は80%行くということなのに対し、
日本では90%行かないってニュアンスなんだよ」と言ったら
疑義が入りました。
「えぇ~!私の場合は50%・50%です。本当に行きたいんだけど、気になってる予定が入るかも知れないので一応、曖昧にしているだけです」という声を頂きました。
それで、急遽、そこにいた全員に
「行けたら行くね!」ってどのくらいのニュアンスだと思いますか?
って訊いたところ、
半分の方は「50%・50%」
もう半分の方は「多分来ないだろう」という結果でした。
同じ日本人でもこんなに解釈が違うんですね~。
で、次に
「それって、自己紹介乙の法則なんだよ。自分が行けたら行くねという言葉を使った時に、自分が行ける確率を表しているんだよ」と言ったら、
それはみなさん、納得していました。
私が「行けたら行くね」といった場合は、行きたくない!断りたい!でもむげに断るのも大人げないし、相手との論争になってもめんどい。
なので、行く気はないけど「行けたら行くね」という言葉を使って濁しています。
みんなも同じだろうと思ったら、
そーでもありませんでした。
このように、同じ日本人で、同じような文化や環境で育って、同じ日本語を駆使する人たちの中でも
その言葉を発する人と、言葉を受け取る人とでは温度差があるんだなぁと
考えさせられた日になりました。
なので、話し合えば分かり合える!なんてのは幻想で
話し合っても、私たちは分かり合えないのです。
それぞれのフィルターを通してでしか理解できませんし、
言語を使ってでしか外界とアクセスできないのですから
それぞれの考え方なんて共有できないんです。
分かり合えた!というのは幻想で
分かり合えた気になっているだけ。
私たちができるのは、
お互いを尊重し、
お互いを許し合い、
お互いの良い所を認め合い、
お互い、自分のペースで生きること。
そういう風に、
お互いに譲り合いながら
お互いを許容していきましょうね。
さて、皆さんはいかがでしょう。
「行けたら行くね!」と誰かに言われた場合、どのくらいのパーセンテージで来てくれると思うのでしょうか。
自分が「行けたら行くね」と言った場合、どのくらいのパーセンテージで、行きたいと思っているのでしょうか?
いつか皆さんとお会いした時に、
ぜひお聞かせくださいね。


