
運が良い人になる方法
幸運とは、自分は運が良いと信じること。
(テネシー・ウィリアムズ)
「運が良いとか悪いとか
人は時々口にするけど~♪」
(さだまさし)
弊社に1名、「この髪色にしたら、良いことしか起こらないんです!」というスタッフがいます。
その人は「良いこと」にだけフォーカスしていますのでRASが働き、
良いことしか見えない状態になっています。
そして、気分良く毎日を過ごしています。
「自分は運が良い」と信じ込むことで、
運が良かったことだけにしかフォーカスしなければ、
やはり同じようにRASが働きますので
「自分は運がいいなぁ」と、毎日を気分良く過ごせるようになるのです。
なので、「私は運が良い」と信じ込んでみましょう!
実は運が良い人、運が悪い人というのは存在しないかもしれません。
私は不可知論者ですから
「運」というものが何か?
それが本当にあるのか?
というのは、知り様がないという立場です。
運が良い人、ラッキーな人に思える人もいますし
運が悪い人、アンラッキーな人に思える人がいるのは事実です。
しかし、それには絶対的な指標があるわけではありません。
それらの全ては、たまたまなんじゃないかと思います。
それを、
「あの人は運がいい」
「私は運が悪い」と言って
「運」という得体の知れないもののせいにして解決しているだけなのではないでしょうか?
これではUFOやおばけや神様やオカルトを信じている人となんら変わりありません。
ただの思考停止の状態です。
確かに抗いがたい不幸や
とても不条理な状況というのは存在します。
自分の親がたまたま毒親だったりすると
親ガチャはずれで、運が悪いように思う。
たまたま美人ではなく生まれてしまったせいで、
コンプレックスを持ってしまったら運が悪いように思う。
運が悪いと解釈することもできるし、
たまたまだと解釈することもできます。
何もかも「運」のせいにする必要はないのではないでしょうか。
私も長年生きてきて、
たまたま運良く上手く行くこともあったし、
たまたま運悪く、すべてが上手く行かなかったこともあります。
でも、実際は「運」なんてものは介在してなかったかもしれないのです。
たまたま、毒親に育てられたので、芸人になって大成功したとか、
たまたま美人に生まれてしまったせいで不幸な目にあったとかもありそうですよね。
中国の故事成語に「人間万事塞翁が馬」というお話があります。
昔、北の方におじいさんが住んでいました。
ある日、彼の馬が逃げてしまいました。
隣人たちは不運だったと慰めに来ました。
しかし、おじいさんは「不運とは限らない」と言いました。
しばらくして、逃げた馬が駿馬を連れて戻ってきました。
隣人たちは祝福に来ましたが
おじいさんは「幸運とは限らない」と言いました。
ある日、おじいさんの息子が駿馬から振り落とされ、骨折してしまいました。
しかし、そのおかげで徴兵されず、戦争に行かずに済みました。
その戦争では多くの若者が死にましたが、おじいさんの息子は徴兵を免れたせいで無事でした。
人の運なんて予測不可能だしコントロールもできません。
そんなことを考えているよりは、
もっと楽観的になって
「私はツイてる!」「私は運がいい!」と思っていた方が
毎日、気分良く過ごせますし、
本当に自分は運が良い人間のようにも思えてきます。
そうすると、色んなことに感謝できるようになり、
毎日を温かい心で過ごせるようになると思います。

メタ心理カウンセリング
セラピールーム・ソラ

