回避性愛着障害
愛着障害は、毒親と呼ばれる暴力や虐待、過干渉が繰り返されても起こりますが、
比較的、良い親、優しい親、優秀な親のもとで育てられても愛着障害になる可能性は十分にあります。
特に「回避性愛着障害」の場合は
両親が共働きで忙しかった場合やシングルマザー(ファザー)で忙しく、
子供と十分に接する時間が少なかったことや、十分に独占する時間を与えることが難しかった場合に、
子供が親との密接な関係を諦めてしまうことがあります。
また、兄弟姉妹が多く
一人ひとりに十分なケアをしてあげられなかった等もあるでしょう。
例えば
父親は仕事が忙しく家庭を顧みないタイプで、子どもの養育にあまり関心がない。
母親も仕事をしていて忙しく、最低限のお世話はするが、十分に構ってあげることが少なく効率重視の関わり合いが多かった場合などには、子どもが回避性愛着障害になることが考えられます。
本当は「愛されたい」「繋がりたい」「受け入れて欲しい」と思っているのですが、
「拒否されるかもしれない不安」「拒絶される怖さ」を感じたくないので
自分の感情を心の底に押し込め、感情を表に出さなくなります。
そうすると親は「おとなしい子だ」「放って置いても大丈夫だ」と考え
さらに、その子と接する時間は少なくなっていきます。
負のスパイラルです。
私は子供の時に、一度だけわがままを言ったことがあります。
5歳の時です。
花火大会の帰りに駄菓子屋で100円くらいのお菓子を買って欲しいとおねだりしました。
人生をかけた大勝負です。
そのお菓子を買ってくれるまで、絶対にそこを動かないと決断しました。
そのお菓子が本当に欲しかったわけではなく、
お菓子を買ってくれるかどうかで、親に愛されているかどうかを量りたかったのです。
さて、結果は・・・
大敗しました。
泣きながら引きずられて、駄菓子屋を後にすることになりました。
さて、それからは、わがままを言うことは無くなりました。
親に愛されることを期待するのを止めてしまいました。
その時、僅か、5歳です。
感情を押し殺しながら、
なんでも自分でやって行こうと決めました。
回避性愛着障害の出来上がりです。
決して、親が悪いわけではありません。
たまたま、両親は忙しかっただけですし、
たまたま、諦めの良い子だっただけです。
回避性愛着障害は、大人になってもずっと続きます。
はたから見ると、孤独を愛しているように見えます。
実際、孤立して孤独なのは楽だし、心地よいのです。
しかし、心の深い場所では、
愛と繋がりを求めています。
相手が無表情だからあまり可愛くありませんが、
傷つかないように自分を守っているだけです。
「放って置いて欲しいけど、かまって欲しい」というアンビバレンツな思いがあり
人と上手く繋がるのが難しいのですが、
回避性愛着障害の人には、信頼できる人、裏切らない人として接してあげることが大切なのです。


