こんにちは、心理カウンセラーの石原です。
先日のオープンデイのテーマ
常識を疑おう
にちなんで…(^ ^)
【最近起こった我が家の靴下事件】
リビングに登場した息子くんが、私の靴下を…履いていた…笑。
私
「ねぇ!ちょっと!私の靴下なんですけど。
普通さぁ、こんな靴下持ってたかな?
とか、ちょっと自分には小さくないか?とか気がつかない?」
息子くん
「ねぇ、知ってる?普通ってさ、人の数だけ存在するんだよね!」
っと…ピチピチの窮屈そうな靴下を履きながら…ドヤ顔の息子くん。
(とりあえず…その靴下…脱ぎません?普通…笑)
私の普通と、息子くんの普通がずれているので
全く話が噛み合いません。
ただ今回は、靴下がテーマなので…笑って終わりましたが…。
ついつい使ってしまう
「普通」
という言葉ですが、自分の普通を相手に押し付けようとして、トラブルに発展している部分が大きいように思います。
普通じゃない、と言われると何故か否定された感じもしますよね。
よく考えてみれば、
確かに人それぞれの普通と言われるものがありますね。
世界共通の普通の定義はなくて、
それぞれの価値観でいう普通なのでしょう。
で、よく聞く言葉ですが
「普通になりたい」
きっと、そう思う人は
今現在の自分を普通ではない。と思っているのだと思います。
ではでは、自分はどんな「普通」を持っているのか?
考えてみると良いと思います。
・普通の女性とは。
・普通の男性とは。
・普通の母親とは。
・普通の父親とは。
・普通の大人とは。
・普通の子どもとは。
・普通の仕事とは。
・普通の趣味とは。
・普通の生活とは。
・普通の性格とは。
これが当たり前。
これが当然。
これが普通。
と思っていること。
掘り下げて考えてみると、疑問が出てきませんか?
なぜ?
それを普通と思うのか?
育ってきた環境や、伝え聞いた言葉、身近な人の価値観などが強く影響していそうです。
もちろん、自分なりの普通は誰でも持っているものです。
それ自体は問題ではありません。
もし、自分や他人を苦しませる
「普通」があったら、見直してみませんか。
人の数だけ普通があるのですから(^.^)
自分にとって有益な普通を作ることも可能です♪