うつ病、双極性障害、解離性障害、強迫神経症、パニック障害、適応障害、摂食障害、パーソナリティー障害、境界性人格障害、新型うつ、、、等々。
近年は、沢山の精神的な病名が溢れています。
これだけ沢山の病名があると、誰でも病院を受診すれば、どこかに当てはまるのではないでしょうか。
精神科領域の病名診断を受ける事で、
「原因が分かった、みんなにも理解してもらえる」
とホッとする人もいるでしょう。
しかし、診断を受けた事で、
「こんな病気になって人生終わりだ。恥ずかしい、情けない」
と落ち込む人もいるでしょう。
私の前職は看護師でした。精神科領域にも長く勤務していました。
私がまだ精神科医療に何の疑いも持たず、医師や病院の考えに賛同し働いていた頃の事です。
医師がつける病名というのは、絶対的なものがありました。
うつ病の患者さんと聞けば・・・
「希死念慮がある人・頑張れって言ってはいけない人・やる気が起きない人」
強迫性障害の患者さんと聞けば・・・
「手洗いや確認行為がやめられない人」
パニック障害と聞けば・・・
「電車やバスなどで過呼吸を起こす人」
境界性人格障害と聞けば・・・
「周りを振り回してしまうから、振り回されないように気を付けなくてはいけない人」
こんな風にマニュアル通りに捉え、それ以上、お相手について考える事はありませんでした。
症状が出ていたり、症状が悪化すると、
「そういう病気だから仕方ないよね」
「お薬が効いていないのかな」
こんな一言で済ませていたのです。
相手を自分の事のように考えてあげていなかったのです。
むしろ、のめり込みすぎず、患者さんとは適度な距離感を保つ事が良い看護と言われるような風潮でした。
もちろん、適度な距離感はとても大事な事です。
しかし、医師がつけた病名という型枠に甘えて、相手がどんな事を考えているかを知ろうとしていなかったのです。
・なぜ死にたくなるのか?
・なぜ特定の場所で過呼吸になるのか?
・なぜ手洗いが止められないのか?
・なぜ過食嘔吐が止まらないのか?
・なぜ周りを振り回す行動を起こしてしまうのか?
この、なぜなぜを考える事を放棄していたのだと思います。
私は今とても強く思います。
病名って、医療者がその人を型枠の中に入れて、型枠の中でアセスメントをして、
その型枠に合った従来の対応をするためのものではないか。
定義された病名を見て、相手の中身を見ようとしてあげていない。
なぜ、苦しいのかも知らずにマニュアルに沿った対応しかしていませんでした。
お相手が、「死にたい」と言われたら、「そんな風に思ってしまうのですね」と返す。
「やる気が出なくて辛い」と言われたら、「ゆっくり休みましょう」と返す。
「不安で仕方ない」と言われたら、「頓服のお薬を飲みましょう」と返す。
これって本質ではないですよね。
お相手が欲しい言葉って、こんな言葉ではないですよね。
しかし、当時の私は、これ以外の答えを知りませんでした。
なんで死にたいのか不安なのか分かりませんでした。
・死にたいは、生きづらいの裏返し。生きづらいのには、その人の思考パターンに何か問題があるのかもしれない。
・不安で仕方ないは、いつも自分が最悪に怖い状態になると考えてしまう癖があるのかもしれ ない。
・手洗いが止めらないは、嫌な事や不安な事を洗い流したいと思っているのかもしれない。
支援者が病名だけに頼って、型にはめた対応をしていると、
こんなにも大事な根っこにある原因を逃してしまい、改善の機会を逃してしまう可能性があるのではないかと思います。
病名がついてホッとするのは、実は医療者の方なのかもしれません。
病名という指針が示されれば、マニュアル的な対応方法が分かります。
もし、お相手の対応に困っても、
「○○障害だから仕方ない。そういう病気なのだから」
と、自分達が楽に考えられるように出来るものなのかもしれないと。
今回、医療現場の方々に対してとても失礼な発言をしているのかもしれません。
これは、あくまで過去の未熟な自分と向き合って出てきた私自身の答えです。
もちろん、カウンセラーになった今も、病名にはお相手を理解するための一つのツールとして、利用させて頂いています。
今回私が皆さんにお伝えしたかった事は、
もし、今現在、自分が精神的な病気と診断されたり、自分で診断していたりして、
「こんな病気になり、ダメな人間だ」と自己価値が低下していたり、
「病気だから仕方ない」と諦めている人がいたら、病名に振り回されないで欲しいと思います。
病名はあくまで、症状を分類して分かりやすくしているだけのものだと思います。
症状の根っこにある考え方、感じ方を変えていく事で、改善は可能だと私は信じています。