十二国記という小説をご存知でしょうか?
今も続いている小野不由美さんの小説シリーズ。中国風異世界を舞台にしたファンタジー小説です。
私は小説は読んだ事はないのですが、アニメ化された作品が、有料動画サイトのNETFLIXに出ていたたので、暇見つけてはずっと見ておりました。
この作品は、周りの空気を読んで良い子を演じて生きていた主人公の陽子が、異世界へ入り込み、多くの困難を乗り越えて成長し、王様として生きていくというお話しです。
この作品の中で、こんな場面がありました。
同じ異世界に入り込み、その世界で自分の役割を探しても上手くいかず辛さのあまり、この世界が悪い、こんな世界は壊れてしまえばいいんだと、訴える同級生に対して、
王様になって成長した陽子が、こんなセリフを言っていたのです。
「世界のせいにするな。」
「私がここにいるのは、私がそうすべきだと思ったからだ。」
「世界は私に役割など与えてはくれない。」
「誰にもだ。」
この作品に出てくる同級生のように、苦しんでいる渦中にいる方にとっては、とても厳しい言葉ですよね。
しかし、とても真理をついている言葉だなと思いました。
この世で、自分に起こる出来事は全て偶然なのだと私は考えています。
それを、自分がどう意味付けをして、どんな行動を起こすかが大事なのだと思います。
今、人生が苦しい方はきっと、
「なぜ自分は生まれてきてしまったのか」
「自分は何のために生きているのか」
「自分は一体どういう人間なのか」
「私が生きる意味は何なのか」
きっと、こんな風に考えているのではないでしょうか。
私も以前は、運命論を信じていましたし、過去生から現代に繋がっているのだから、
自分には何かしら生まれてきた意味があるのはないか。
そんな風に思って生きていました。
しかし、自分が何なのか、自分の生きている意味はどこにあるのかを、
いくら探しても自分の辛い状況は一向に変化しませんでした。
そして、たどり着いたのが、セラピールーム・ソラで学んだ哲学的な考え方です。
「自分は何者でもない」
「起きた出来事に必然はない。全ては偶然。」
という学びでした。
この学びのお陰で、私は私を定義づけする必要が無くなりました。過去にもこだわらなくなりました。
主人公の陽子が言ったように、非情にも世界は役割など与えてはくれなかったのです。
その代わり、どんな自分にでもなって良いのです。
自分が好きな事や得意な事があれば、それをやってみれば良いのです。
こんな生き方がしてみたいという理想があるなら、そんな生き方を目指していけば良いのです。
自分で役割を決めて、その役割実行していく事を許してあげましょう。
今鬱で苦しんでいる方々は、鬱で苦しむために生まれてきたのではありません。
今不安で怯えている方々は、怯えるために生まれてきたのではありません。
私達自身が、この世界でどんな役割を担って生きていきたいかを考え、そんな自分に変化していけば良いのです。
自分を諦めずに、環境のせいにせずに、半歩でも前に進んでみませんか。
どんな自分にでもなれるとしたら、無限の可能性があるように思います。