ある哲学ブログに書いてあったことで疑問に思ったことがありましたので、教えて頂ければと思いメールしました。「もういいんだよ
そう自分に何度も言い聞かせて夢は諦めたほうが人生は楽しい
人生楽しむのも夢も全部諦めて好きなことを仕事にすれば幸せになれるだろう
サッカー選手の夢も人生楽しむのも全部諦めちまえよ」
と書いてありました。
自分は諦めるが一番苦手でこういう考えが無いからスッキリしないのかな?と思いましたが、ソラさんはどう考えますかm(_ _)m
こんにちは、セラピールーム・ソラの水元です。
ご質問、ありがとうございました。
難解な文章なので、まず2つに分解しましょう。
主張としては、
(1)「夢を諦めた方が人生は楽しい」という文章と
(2)「好きなことを仕事にすれば幸せになれる」という文章に分けられます。
ご質問者は、このうちの(1)の「夢を諦める」ということに対して違和感を感じていらっしゃるのだと思いますが、このことに付いて多方面から考えてみましょう。
まずは、この「夢」の定義は人それぞれですので、一概には何とも言えません。
簡単に実現可能なことを「夢」と定義する方もいるでしょうし、
とてもハードルの高いほぼ不可能と思えるような「夢」もあるでしょう。
前者であれば、夢を諦める必要はまったくないように思います。
例えば、実存主義を主張したキルケゴールは、夢を諦めることも絶望だし、見果てぬ夢を追い続けることもまた絶望としました。
現実的で達成可能な夢を追い求めることが現実的なのではないでしょうか?
さらに、
(1)「夢を諦めた方が人生は楽しい」
これは本当でしょうか?
「楽しい」というのは感情であり、主観でしか感じられないものです。
先日、友人がバンジージャンプに挑戦して、とても楽しかったようです。
しかし、これは普遍的ではありません。
同じ行動を取ったとしても、ある人は「楽しい」と感じ、ある人は「怖い」「ツラい」と感じることもあるのではないでしょうか。
他者に、私の「楽しい」を決めることはできません。
見果てぬ夢だったとしても、
とてもハードルの高い夢だったとしても、
「追いかけている瞬間が、楽しい!」と感じる方は多くいらっしゃるのではないでしょうか?
アンソニーロビンズは言います。
「小さな自分を捨てよ。
偉大なる自分を呼び起こせ!」
“現実的”という小さな枠組みの中に自分を押し込めていては成功はできないということです。
非現実的な夢のように思えても「それは必ず達成可能なのだ」という強い確信が人生の質を変えて行くのです。
では、
(2)「好きなことを仕事にすれば幸せになれる」
の文章はどうでしょう。
一見、正しい文章のように思えますが、皆さまはどう思われますか?
これは、個人の “目的地” によります。
例えば、ある人の目的地が「お金」だったとします。
そうした場合は、とてもつまらない仕事だったとしても年収が3000万円貰えるなら、
それは幸せと言えるでしょう。
ある人の目的地が「達成感」だったとすれば、社会貢献をすべきでしょう。
ある人の目的地が「自分の好きなこと」だったとすれば、年収が250万円だったとしても、
その人は幸せを感じることができるかも知れません。
「幸せ」の定義は人それぞれですので、
それは他人が決めることではありません。
「社会的に見て幸せ」ということはないのです。
幸せというのは内発的なものなのですから、
自分が幸せを感じられる仕事をすれば良いのではないでしょうか?
それが、その人の幸せなのだと思います。
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