「ありのままでいい」って本当?
自己肯定感は「ありのままの自分でいい」と聞いたことはないでしょうか。ダメダメな自分と思っているのに、そんなことをしていいのだろうかと思ったことはありませんか?
自己肯定感は「ありのままの自分でいい」と聞いたことはないでしょうか。ダメダメな自分と思っているのに、そんなことをしていいのだろうかと思ったことはありませんか?
人生がつまらないと思うことはないでしょうか。かつての私がそうでした。では、意味のある人生を送るためには、どうしたらよいのでしょうか。
「社会的成功」と「人間的成功」 我々は「社会的成功」に目を奪われがちですが、人生でより大切なのは「人間的成功」だと思います。
「変わろうとすればするほど責めたくなる」ということは、もしかしたら潜在意識の根底では「私は変わってはイケナイ」や「私は幸せになってはイケナイ」といった制限をかける信念があるのかもしれませんね。こういった制限する信念を「リミッティング・ビリーフ」と言います。まずはこの制限しているビリーフを論駁(dispute)する必要が
性善説、性悪説のどちらが正しいのか?私はどちらでもなく、教育や心がけで、どちらにもなり得ると思っています。インディアンの古いお話、「二匹の狼の話」から読み解いてみようと思います。
母と喧嘩してつらい気持ちになり反論したら、あなたの解釈のせいと言われたり何気ない会話の中で母の癇に障り、いきなりキレて怒りだし私のせいで怒ってるんだと言われ、そしてイライラするのも私のせい、私に関係ないことも(母が自分で決めたことを)私の責任にされたり、とにかく全部、私のせいだと言います。
真に受けることをやめたいのと都合の良い解釈についてお聞きしたいです。 私はよく人に言われたことを真に受けます。やめたいです。 特にお前のせいやお前の考え方の問題と言われたり、大人数で意見(いい事も悪い事も含め)言われると考えをもっててもゆらいだり、やはり私が悪かったのではと思ってしまいます。
嫌われても大したデメリットはない、自分が引きずらなければとのことですが、あまりピンと来ません。果たして、本当に嫌われても大したデメリットはないのでしょうか。確かに先生の話も一理ありますが、私の経験では、嫌われた後、散々な嫌な目にあってきました
「自分の性格だからしょうがない」と諦めてしまうのはもったいないです。人はいつでも変われるし何度でもチャンスはあります。そのために必要なことは成長思考でいることです。
私は義母の亡くなる数年前から質問攻撃に頭にきて義母の家に近寄らなくなりました(“質問攻めをこれ以上するな” と主人が義母に言ってはくれました)。しかしその後しばらくして義母の末期の大腸がんが発覚し、義母は帰らぬ人になりました。私が彼女の家に行かなくなることで彼女はどう感じていたのでしょうか?